日記・コラム・つぶやき

2018年7月16日 (月)

宗谷本線の駅を回ってきました

 先月、宗谷本線の駅巡りに行ってきました。訪問した駅の模様は「鉄の草枕」の「駅の旅」のコーナーの「北海道の駅その33」、「その34」、「その35」に掲載しました。

 平成28年に廃止が提案されながらも生き残っている駅を中心に巡ってきました。どの駅も人影はほとんどなく、そればかりかすっかり本数の少なくなった普通列車の乗客もわずかで、いつまで存続できるのか予断を許さない印象です。でもそれだけに、都会の日常を忘れさせるものがありますので、都会の生活に疲れた方は、一度訪問してみてはいかがでしょうか。

 

| | コメント (0)

2018年5月26日 (土)

北海道新幹線高速化計画

 平成28年に北海道新幹線が開業し、本州と北海道が新幹線で結ばれました。そのこと自体は良かったのですが、青函トンネル内では貨物列車との擦れ違いの際に事故が起こる可能性があるとして、140km/hに速度が制限されていて、東京から新函館北斗まで4時間を切れない一因にもなっています。折角の新幹線なのですから、できるだけ速く走らせないと勿体ないでしょう。そもそも、高速で貨物列車とすれ違った場合、本当に事故につながるのか、どの程度の速度まで安全なのかなど、基本的な所が押さえられないまま、何となく危なそうだから減速しておこうという判断のようで現行のやり方自体大いに問題含みだとは思いますが、それを言っても仕方がないので、対策を考えてみましょう。

 

 まず考えられるのが、在来線規格の貨物列車を車両ごと新幹線規格の車両に搭載してしまう、トレイン、オン、トレインです。新幹線開業前から開発が進められていることが報道されており、本命のように思えます。しかし、開業から2年が経過しますが、このごろはとんと話を聞きません。開発主体だったJR北海道は安全問題を抱えて存続の危機に陥っており、折角開発した新型特急用気動車を廃車にしてしまうなど、前向きの施策は全くできない状態になっているので、恐らく事実上開発中止になっているのでしょう。それではいくら待っても前へは進みません。もっとも、200km/h程度の速度を計画しているようなので、完成しても効果は限定的です。また、在来線の車両より新幹線の車両は大きいといっても、それほど大きな差があるわけではないので、在来線車両を搭載した上で新幹線並みの速度で走るというのは、ちょっと無理があるように思えます。

 

 やはり、本命になるのは貨物用新幹線ではないでしょうか。基本的に現在の貨物はほぼコンテナなので、コンテナ専用の貨物電車を開発して、新幹線区間を可能な限り速く、できれば300km/h程度で走らせるのが良いでしょう。貨物電車は在来線ではすでに実用化されていますので、技術的ハードルは高くないと思われます。

 課題になるのは在来線と新幹線の間のコンテナの積み替えでしょう。積み替えであまり時間をロスすると、折角新幹線で高速走行する意味がなくなります。従って、函館と青森に設置する積み替え基地は可能な限り機械化、自動化を行って、短時間での積み替えを実現することが重要です。また、施設整備には相当の資金が必要になりますから、国が整備して使用料で償還するか、経済の活性化やCO2の削減、少子高齢化対策などを目的に、運用経費のみの負担で使用させることでも良いと思います。これから少子高齢化の進展による人手不足の深刻化が見込まれ、効率の悪いトラック輸送は維持困難になることは確実ですから、そうなる前に鉄道に転換させることは国策として実施することが必要でしょう。

 

 将来北海道新幹線が札幌まで延伸された暁には、単線で良いので札幌貨物ターミナルまで線路を伸ばして、そこに積み替え基地を作れば良いでしょう。300km/hで走れば函館まで1時間で行きますから、トラック輸送より圧倒的に速く、必要人員が圧倒的に少ないということになります。

 

 日本海側経由西日本方面行の貨物列車は青森で積み替える必要がありますが、東京方面行の貨物列車は、そのまま東北新幹線を走れば一段と大きな速達効果が期待できます。東北新幹線は、大宮-東京間を上越、北陸新幹線と共用している関係で、大宮以北の線路容量には余裕があります。だから埼玉県内の新幹線沿線に貨物基地を作って、そこまで貨物新幹線で走って、そこから関東各地に配送するようにすれば効率的です。新青森-大宮は700km弱ですから、300km/hで走れば2時間ちょっとで走れます。札幌から直通するようになれば、札幌から4時間あれば埼玉の貨物基地に着くことになります。ひょっとすると航空貨物を使うより速いかもしれません。もし需要が十分に見込めるのなら、仙台あたりにも貨物基地を作っても良いでしょう。

 

 これが成功したら次は東海道です。中央リニア新幹線ができれば東海道新幹線の線路容量に余裕ができますから、神奈川県内と大阪府内、必要なら愛知県内に貨物基地を作って、こちらにも新幹線貨物列車を走らせます。大阪には、中国、四国、九州地方との間の貨物のために、在来線との積み替え基地も作ると良いでしょう。山陽新幹線の線路容量に余裕があれば、岡山、広島ないし福岡まで直通運転しても構いません。東海道筋は貨物輸送量も多いので、新幹線貨物への転換によって大幅な人員削減が期待できますから、相当な労働力人口減少に対応できるようになるでしょう。速達性が高まって物流が効率化される上に、人口減少による経済の縮小を緩和できますから、経済効果は相当大きなものが期待できます。

 

 話が広がり過ぎましたが、こうすれば大きな問題もなく北海道新幹線の速度を上げ、時間短縮を実現することができます。新幹線用の貨物電車の開発は、トレインオントレインの開発よりはるかに容易で、短期間でできると思われます。貨物積み替え基地の建設にはそれなりの費用が必要ですが、同じ公共投資でも、国土強靭化のために建設する堤防などはそれ自体は1円の経済価値も生まないのに対して、こちらは間違いなく多大な経済価値を生み出しますから、同じ公共投資ならこちらの方が経済活性化の上で有用だし、そこから生み出された経済価値の中から償還することも可能です。ぜひ、速やかに実現して貰いたいものです。

| | コメント (0)

鉄道全線走破への道

 鉄道に乗って回ることに興味を抱いたのはいつからだったか記憶は定かではありませんが、少なくとも昭和53年には路線図を描いて、乗った区間に色付けをするようなことをしています。その記録によれば、昭和53年中には17路線の890.1kmに乗っています。結構キロ数が出ていますが、東海道新幹線の東京-京都間513.6kmに乗ったのが大きなウェイトを占めています。

 

 乗った区間と日付を記録するようになったのは昭和54年の事で、その年に刊行された「時刻表名探偵」に「全線走破のススメ」という章があった影響を受けて、国鉄全線走破を意識するようになりました。この頃は乗れば乗っただけ走破距離が伸びるのと、この年北海道の親戚を訪ねる旅をしたのとで、2070.4kmを記録しています。翌昭和55年も2000km以上、昭和56年は1000km以上と順調に走破距離を伸ばし、昭和57年には年間で最高の3570.7キロを走破しています。

 

 この頃から国鉄の路線廃止が始まります。昭和56年の福知山線尼崎港枝線、夕張線登川枝線の廃止があり、更に昭和58年からは白糠線を皮切りに、国鉄地方交通線の廃止が始まります。廃止になる前にできるだけ乗りたいという思いもありましたが、日本全国が対象とあってはそうそう出かけられるはずもなく、先の枝線2線に続いて、昭和59年には相模線西寒川枝線、魚沼線が乗りに行けないままに廃止になりました。以来、乗れないままに廃止になった路線は、国鉄、私鉄併せて実に700kmを越えています。もちろん乗ってから廃止になった路線はもっと多く、つい先日廃止になった三江線までで実に2700kmに及びます。ただ、この頃は国鉄に意識が向いていて、その陰で数多くの特徴的な地方中小私鉄が、乗れないままに消えて行ったのは実に惜しかったという思いもあります。

 

 順調に走破距離を伸ばしていたのが、転機を迎えたのは昭和62年、国鉄の旅客鉄道への移行の時です。ここまで国鉄の路線に絞って全線走破を目指していましたが、実質国有とはいえ株式会社化されたことで、従来の私鉄との区分の意味が曖昧になってしまいました。旅客鉄道として民営化された路線と、国鉄から分離されて第三セクター鉄道化された路線との区分の意味も曖昧です。そうなると私鉄も含めて、鉄道全線を走破対象にするしかないのではないか、鉄道と軌道の区分も曖昧なので、その他の特殊な鉄道を含めて全ての鉄道を対象にするしかないのではないかと考え、ここから鉄道全線走破を目指すようになったわけです。

 

 しかし、手近な所で東京の地下鉄路線などに乗ってはみましたが、それまで回っていた国鉄の地方路線と比べると、どうしても乗ってもあまり楽しくありません。そもそも地下鉄では外の景色が見えませんから、この路線に乗ったという実感が持てません。そんなこともあって徐々に意欲が低下して来て、平成元年は1900kmを越えましたが、平成2年には348km、平成3年には132.8kmと新たに乗る路線が減って行き、平成4年からは3ケタを割り込むようになってしまいました。いつしか未乗の路線に乗るために遠出をすることも少なくなり、平成6年は15.0km、最低記録は平成11年の7.4kmと低迷する時期が続きます。それでも、走破がゼロの年がなかったのが慰めでしょうか。

 

 再び転機になったのは、平成12年の普通列車の客車列車の廃止です。かつては長距離の客車列車に乗るためだけに出かけたこともあったのですが、年々姿を消して、最後に残った筑豊本線の客車列車がなくなるということで、最後の客車列車に乗ろうと九州まで出かけた機会に、未乗だった筑肥線、唐津線など久々にまとまった距離の未乗路線に乗って、この年は10年ぶりに走破距離が200キロを越えました。

 

 翌平成13年は、のと鉄道輪島線が廃止になるということで、廃止になる前にとのと鉄道に乗りに行きました。同じ年には、名古屋鉄道の4路線の廃止の話もあって出かけたりしたので、走破距離は481kmに達しました。また、遠出したのに触発されて、近郊の通勤路線などに乗ってみると、しばらく遠ざかっていたせいか、案外楽しく感じられ、このあたりから再び未乗の路線を走破する気持ちが盛り上がってきたのでした。そうなると東京近郊は細かい路線が沢山あって、乗りに行く先には不自由しません。ほとんど毎月の様にどこかここか乗りに出かけて、細かい路線が多いので距離はそれほど伸びませんが、平成14年は399.9km、平成15年は303.2kmを記録します。

 

 この頃になると、全線走破を見据えて、毎月最低1カ所は乗りに行こうと考え、平成15年の10月から、平成17年の1月まで、16か月に渡って毎月どこかの路線を走破するという記録を作り、その結果平成16年は1005.4kmと、実に15年ぶりに4ケタに乗せたのでした。平成17年の2月には一旦途切れましたが、平成173月からは再び毎月走破を重ね、平成17年の走破距離は1036.2kmに達します。さすがに近隣に大物がなくなってきたこともあってその後は距離はそれほど伸びなくなりましたが、毎月走破は延々と続き、平成173月から平成232月まで実に6年間に渡って続くことになりました。この間に、細かい路線が多くなりながらも、合計4000kmを越える路線を走破したのでした。

 

 平成233月、それまで続いた毎月走破を途切れさせたのは、東日本大震災です。鉄道趣味で遠出しているような状況ではなく、がっくりとペースが落ちました。そろそろちょっと出かけられる近隣に未乗の路線がほとんどなくなっていたこともあって、それからは年に数回出かける程度となり、ゆるゆると走破を進めて今に至ります。

 

 そんな感じで長年かけて進めてきた全線走破への道ですが、平成29年末で走破率は98.7%に達し、残すところ47線区・区間、300km余りとなりました。関西圏に割合たくさん残っているので、そう短期間で全線走破とはいきませんが、そろそろラストスパートをかけて行きたいと思います。記録を始めて実に40年と、ちょっと時間をかけすぎましたが。もっとも、最初の年に乗ったすべての路線はその後再び乗っていますので、実質はそこまでの期間はかかっていません。間違いなく乗り直していないと言えるのは、昭和55年に乗った筑波鉄道40.1kmで、昭和62年には廃止されてしまったので、乗り直すのは無理ですね。

 

 この頃、廃止になる駅に廃止前に降り立ってみようということもたびたびやっているので、なかなか全線走破が進まない面はあるのですが、ここからあまりずるずると長引かせないように、少し意識して進めて行こうと思います。経過についてはなるべくこのブログにて報告したいと思います。まあ全線走破を目指す人は少なくないので、興味を持ってくれる人がいるかどうかわかりませんが、もし興味を持っていただけたらよろしくお願いします。

| | コメント (0)

2018年4月30日 (月)

小田急複々線化雑感

 小田急の長年の悲願だった代々木上原-和泉多摩川間の複々線化工事が完了し、3月のダイヤ改正から供用されるようになりました。列車の運転本数が増加して混雑が緩和され、多摩センター方面や地下鉄千代田線方面への直通運転が増えた他、所要時間も短縮されました。

 ところが、時と場合によってはかえって不便になったケースが見られます。JR南武線との乗換駅で、利用客が多い登戸駅の朝の新宿方面がそれです。7時台前半を見てみると、ダイヤ改正前は、7時3分準急新宿行、7時5分急行新宿行、7時11分急行新宿行、7時17分急行新宿行、7時24分急行新宿行、7時27分急行新宿行の6本があって、他に普通が4本、千代田線直通が2本ありました。新宿までの所要時間は21分から25分です。それがダイヤ改正後は、7時0分快速急行新宿行、7時9分快速急行新宿行、7時19分快速急行新宿行、7時27分快速急行新宿行の4本だけとなってしまいました。この他に千代田線直通や普通があるのですが、実質使える列車が2/3に減ってしまったので、不便で混雑が激しくなっています。所要時間は成城学園前通過の効果もあって18分から20分と速くなったのですが、列車間隔が開いた影響でタイミングが良くないとかえって遅くなってしまいました。もう少し何とかならなかったのかと思います。線路が増えて本数が減るというのはちょっとどうかと思います。

 もう一点驚いたのは、普通列車が遅くなってしまったことです。複々線化されたので追い越し待ちが減って速くなると思ったのですが、同じ7時台前半の列車を比較すると、改正前新宿までの所要時間が34分から36分だったものが、38分から40分と全ての列車で遅くなっています。これは、普通列車しか停まらない各駅の利用客はがっかりでしょうね。

 近距離の乗客は眼中になかったのかもしれませんが、本数の少ない快速急行に乗客が集中して混雑が激しくなると、遠距離の乗客にとっても問題があります。もう少し工夫が必要かと思います。なるべく早く問題点を洗い出して、ダイヤ改正をして、改善して欲しいものです。

 もちろん時間帯により、場所により、便利で速くて混雑が緩和されているケースも多いので、それだけに残念なことです。

 

| | コメント (0)

2018年4月 8日 (日)

北海道新幹線札幌駅大東案について

 北海道新幹線札幌駅ホーム位置が、現駅から大きく東側に外れた大東案で合意されました。元々、現在の在来線1、2番線を改築して新幹線ホームにするという前提で事業が進められてきていたわけですが、JR北海道が突然難色を示し、西案、東案、地下案と次々提案しては却下され、最終的に最も現在の駅から遠くなる大東案でなぜか関係者が合意するという結末になりました。

 これはずいぶん乗り換えが不便ですね。在来線との乗り換えは300m程度の距離になると報道されていますが、例えば新幹線の先頭から在来線の最後尾に乗り換えなければならなかった場合は、軽く500mは越えるんじゃないでしょうか。しかも途中狭い通路に集中しますから、普通に歩ければ間に合う乗り継ぎも、実際には間に合わなくなるパターンがかなり出そうです。また、新幹線側にも新たな改札口を作るでしょうが、所詮は裏口で、地下鉄も、商業施設も、主要な施設は全て在来線側の改札の方にありますから、多くの人は、新幹線ホームを端まで歩いて、連絡通路を長々と歩いて、在来線ホームを歩いて、コンコースに出て、やっと改札にたどりつくということになります。しかも、地下鉄に乗り継ごうと思えば、在来線の改札から地下鉄までは結構距離があって、それが加わります。正直これでは新幹線を積極的に利用しようという気にはなれませんね。

 元々、札幌駅は高架化された時に地下鉄との乗り継ぎは不便になりました。旧駅では、地下通路をまっすぐ進めば地下改札があって、ちょっと距離はありましたが、地下鉄まで概ね真直ぐつながっていました。それが、高架化する際に全体に北側に移動して、地下鉄からの距離がさらに遠くなりました。構造も良くなくて、それまでは南北に改札があったものを東西に移したため、例えば1番線の場合、それまでは真直ぐ移動できたものが、一旦逆方向に北上して、向きを変えて改札を抜けて、また向きを変えて元来た方向に戻る形で地下鉄に向かうようになってしまいました。それでも、この時は空いた南側のスペースは将来新幹線のホームを作るためのスペースということで納得感はあったのですが、そこに商業ビルを建ててしまい、どうするのかと思えばずっと遠くに孤立したホームを作るとか、訳が分かりません。

 どういう状態になるか、関東地方の方は武蔵小杉駅の南武線と横須賀線のホームをイメージしてもらうと丁度良いのではないでしょうか。横須賀線のホームから本来の改札を出ようと思うと、ホームの端まで行って連絡通路を延々と歩いて、さらに南武線のホームを歩いてから改札に向かうようになっているので、かなり似た状態だと思います。連絡通路も狭くて通りにくいですが、南武線ホーム上では、電車を待つ乗客とホームを通過しようとする乗客が押し合いへし合いすることになって、非常に身動きが取り辛い状況が生じています。まあ、そこまで人が密集することにはならないかもしれませんが、新幹線の乗客は大きな荷物を抱えた人が多数になるので、むしろもっとひどい状態になるかもしれません。
 逆の位置関係になりますが、京都駅の新幹線と山陰線の乗り継ぎが近いイメージかもしれませんね。新幹線から山陰線に乗り継ごうとして、余りにも遠くて往生した人は少なくないのではないでしょうか。
 古い時代を知っている人は、昔の青森駅の連絡船との乗り継ぎをイメージすると近いかもしれませんね。連絡船に乗るために、荷物を振りかざしてホームを走る乗客。しかし、かつての青森駅と違って、そのホームには別の列車に乗降する人たちが交錯しているので、その混乱は上回るかもしれません。

 元の認可案の在来線ホームの改築では、新幹線のコンコースを作るために商業スペースが削られてしまうので、それを避けるためにJR北海道は誰が見てもおかしな案を次々繰り出して来たようですね。JR北海道にしてみれば、所詮は赤字の新幹線より、確実に黒字を生み出してくれる商業施設の方が大事なのは、自己の存在意義を全面否定していることに目をつぶれば、理解できないこともありません。しかし、北海道や札幌市は何故合意したのか。
 東京駅では、東北新幹線のホームを増設するために、中央線のホームを一段上に移設して、増設スペースを生み出しました。札幌駅も上の空間は空いているのですから、在来線ホームの上に新幹線ホームを作れば良いのではないでしょうか。まあ、コストは増加するでしょうから、数年の内にも手持ち資金が枯渇する可能性が高いと言われているJR北海道には、僅かな資金でも追加支出するのは難しいのかもしれません。でも、大東案に変更するために生じる追加費用数十億円は負担するということで、どこにそんな資金があるのかと思います。大体、そんな余分な支出をすれば、心証を害してこれ以上経営支援の追加をしてもらえなくなるかもしれないとは考えなかったのでしょうか。そればかりか、駅近隣の再開発に名乗りを上げたとか。そのための資金の手当てはどうするのか。何だかどこまで考えて動いているのか、疑問を感じてしまいます。

 遠い所にホームを作るくらいなら、新幹線はどうせ1時間に1本程度の運転でしょうから、新幹線ホームは1面1線だけにしてしまっても足りるんじゃないでしょうか。大東案でホームを作ろうとしている場所に引き上げ線を作って、そこで折り返しのための整備をするようにすれば、ホームは1線でも十分賄えそうです。別に新幹線専用のコンコースとかなくても、困らないんじゃないでしょうか。乗客が増えて捌ききれなくなってきたら、一段上にホームを新設することもできますしね。

 何にしても、今回の大東案の絵は無様で醜悪です。まるで、ホームの端っこに付け足したホームから発着していた、今は亡き赤字ローカル線を見るようです。まあ、北海道新幹線は赤字ローカル線なんですけれどね。JR北海道にしてみれば、並行在来線を廃止しても、差引赤字が増えるだけのお荷物なんですよね。その割に熱心に取り組んでいる部分もあって、ちぐはぐなんですけれど。

 

| | コメント (0)

2018年3月11日 (日)

北海道の廃止駅

 ここの所北海道の駅が次々廃止になっています。駅の廃止というと、路線の廃止に伴うものが多く、路線はそのままで駅だけ廃止になる例はそれほど多くないという印象ですが、実際の所はどうなのか、北海道について調べてみました。なお、ここで言う駅の廃止は旅客営業の廃止を指し、貨物駅や信号場になって存続する場合を含み、客扱い信号場や仮乗降場を含みます。

 昭和30年代までを見ると、昭和18年の国有化に伴って廃止された芭露沢(富内線)、昭和24年の、恐らく戦時の輸送力増強のために作られて、戦後不要になって廃止された新本別信号場(函館本線)、昭和31年の、恐らくダム建設のために作られて、不要になって廃止された宇津内(深名線)、手宮線の貨物線化によって昭和37年に廃止された色内(手宮線)程度です。

 昭和40年代には、恐らく設置したものの乗客が極端に少なかったのでしょう、仮乗降場が多数廃止されています。昭和40年天北栄(天北線)、昭和41年川向、厚生病院前(名寄本線)、昭和42年北頓別(天北線)、西永山(宗谷本線)、下相ノ内(石北本線)、昭和45年北里、西振老(羽幌線)、昭和46年鳥ノ沢(石北本線)、昭和47年下ノ滝(羽幌線)、土佐、常呂港、中能取(湧網線)と13カ所を数えます。また、この時期には貨物駅化、貨物線化によって陣屋町(室蘭本線)、南美唄(函館本線)、幌内住吉、幌内(幌内線)の各駅も廃止になっています。

 昭和50年代は少なくて、昭和50年の常紋、上越(石北本線)、昭和51年の大曲(深名線)、昭和59年の上目名(函館本線)だけです。昭和60年代は、昭和60年の神路(宗谷本線)、尾路園(胆振線)、昭和61年の鹿越(根室本線)です。上目名を除いていずれも信号場、仮乗降場ですが、上目名も元々利用客はほとんどいない、列車交換のためだけにあったような駅で、廃止と同時に跡形もなく撤去されました。

 平成に入ると一転廃止が増えて、平成2年には雨煙別(深名線)など8駅が相次いで廃止になり、平成3年には滝里(根室本線)が廃止になります。しかしその後は10年ほど廃止はありません。

 平成13年から再び大量廃止が始まり、平成13年に下中川(宗谷本線)など6駅が廃止、平成16年に楓(石勝線)が廃止、平成18年に旭浜(室蘭本線)など7駅が廃止になり、この時長期休止中だった函館本線の張碓も正式に廃止になります。

 また10年ほどの間隔を置いて、昨今の大量廃止が始まったわけです。即ち、平成28年に鷲ノ巣(函館本線)など8駅、平成29年に東山(函館本線)など10駅が廃止になり、平成30年にも羽帯(根室本線)の廃止が予定されています。

 こうしてみるとずいぶんたくさん廃止になっていますが、昭和30年前後を中心に大量に設置された局設置の仮乗降場が多くを占め、北海道の地域特性によるものが大きいとも言えます。JR北海道が挙げた廃止候補駅はまだたくさんありますから、さらに廃止が続く可能性もありますが、JR北海道は路線の廃止に注力するようになっていますから、路線の廃止が一段落するまでは、駅の廃止は小康状態になるかもしれません。

 

| | コメント (0)

2018年2月24日 (土)

3月で廃止の羽帯駅へ行ってきました

 3月のダイヤ改正で廃止になる羽帯駅を訪問してきました。訪問した駅の模様は、「駅の旅」のコーナーの「北海道の駅その32」のページに掲載しています。

Haobist

 羽帯駅については、清水町議会の資料によると、平成24年以降の定例調査では毎年乗車人員0人、平成29年4月23日~25日の3日間の乗降調査では23日に観光客の降車が1人(駅巡りの人でしょうね)、4月~6月の乗車券等の調査では乗車客が各月1人という結果だったとのことです。これだけ利用客が少ないのでは、町としては年間130万円の費用を負担して存続させるのは難しいという結論になったとのことです。もっとも、私が訪問した時には、入れ違いで1人の乗車客(見た感じ地元の方のようでした)がいましたけれど。凄い偶然で、月に一人の乗客と行き会ったのでしょうか。

 しかし、羽帯駅に限らず、乗客の減少は深刻なようですね。根室本線は維持困難な線区には指定されていませんが、今回白糠から尺別まで乗った列車は乗客が2人で、その人たちも音別で降りてしまい、尺別で私が降りた後は、無人で走っていきました。折り返しの列車は、2両編成の前の車両は私1人、後ろの車両も1人という状況で、その後降りるまでにも2人しか乗車してきませんでした。根室本線は特急での長距離の乗客が多くいますが、普通列車の乗客は他の路線と変わらずごく少数になってしまっているようです。路線は残っても、駅の廃止は続くかもしれません。

 また、宗谷本線などは、路線自体の見直しの動きのせいか駅の廃止が見送られていますけれど、こちらも路線の存続が決まれば駅の廃止が行われるかもしれませんね。今回廃止になる駅が1駅だけだったので、駅の廃止もひと段落かと思いましたが、どうやらまだ続きそうです。

 

| | コメント (0)

2017年12月10日 (日)

三江線宇都井駅

 『天空の駅』とも呼ばれる、三江線の宇都井駅を訪問してきました。その時の様子は、「駅の旅」のコーナーの「中国の駅その12」、「中国の駅その11」に掲載しています。

 

B1712101

 宇都井駅というちょっと変わった駅があるということを知ったのは、「時刻表の旅」(種村直樹著、中央公論社、(1979))で紹介されているのを見た時で、その時から一度行ってみたいと思っていました。三江線には平成21年に乗りましたが、この時はとにかく全線に乗ることが目的だったので、宇都井駅に降りることはかなわず、知ってから40年近くたって、廃止へのカウントダウンが進む今になってやっと訪問することができました。
 階段の数だけで言えば462段の土合駅には遠く及ばないのですが、中空にそびえるその姿を見ると、印象深いものがありました。

 

 今回三江線を再訪するに当たって、廃線が決まった路線の常として、かなり混雑が激しいらしいという情報があり、JR西日本の「JRおでかけネット」には「三江線は現在多くのお客様にご利用いただいており、列車によってはご乗車いただけないこともございます。」という告知があるような状況で、何分列車本数が少ないので、もし乗れなかったら困るなぁ、などと思っていました。実際には、三次から始発に乗った所、座席が概ねふさがる程度で、混んではいるが乗り残しが出る程ではありませんでした。

 

B1712102

 

 後で乗った列車は、2両編成でしたが、団体客の乗車もあって通路にずらりと立ち客がいる程度の入りでした。しかし、一般のツアー客がこれに乗り続けるのは辛いんじゃないかと思っていると、作木口で降りて行きました。こんな所で降りてどうするのかと思いましたが、川を渡った対岸の道路にはバスが待っていました。

 これから18きっぷの時期になるとさらに混雑するでしょうから、これから行こうと思っている皆さんはご注意を。

 

 その他に、一度廃止になりながら奇跡の復活を遂げた可部線にも行ってきました。「中国の駅その10」に掲載しています。

 

B1712103


 同時に、未乗だった広島電鉄の市内線にも乗って来ました。ところが、全部取り終えたと思っていたにもかかわらず、帰ってから一部区間を乗り残していたことに気付きました。以前宮島線に乗った時、そのまま直通で市内線の本線には乗ったつもりになっていたのですが、実際には紙屋町西で降りてアストラムラインに乗り継いでいたため、結果として八丁堀-銀山町の2駅間、0.3kmだけ乗り残していたのでした。広島地区はこれで終わりだと思っていましたが、もう一度行かなければなりません。

 

 また、もう少し前には、日本一の秘境駅として有名な小幌駅に行ってきました。周辺の駅を含めて、「北海道の駅その31」、「北海道の駅その30」に掲載しています。

 

B1712104


 ここの所、廃止になる駅や廃線になる路線に出かけることが多くなっていて、本当はそこまでせっぱつまる前に訪問したいものだと思っています。そうは言いながら、来年の3月には根室本線の羽帯駅が廃止になることが決まっていますが、行ったものかどうか考えているところです。それほどの特徴がある駅でもないので、1駅だけでもあり、迷うところですが。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月13日 (日)

廃線跡の旅・国鉄富内線

 「鉄の草枕」の「廃線跡の旅」のコーナーに「国鉄富内線」の記事を追加しました。

 今回は、施設が良く保存されている富内駅、振内駅を中心に見てきました。途中の線路跡などは見ていませんが、トンネル跡なども残っているようですので、機会があれば改めて詳しく回ってみたいところです。

 富内線は昭和58年に乗りましたが、急な上り坂をゆっくり、ゆっくり上っていったことを覚えています。富内線は、富内までは鵡川に沿って登り、そこから山を越えて平取川の川筋に移って、さらに日高町まで登っていました。

 今回の記事は、今月取材してきたばかりの内容です。過去に取材した材料でまだ記事にしていないものもたくさん残っています。本当は取材後なるべく早く記事にした方が良いのですが、なかなか時間が取れず追いつきません。それはおいおい記事にしていきたいと思います。

 

| | コメント (0)

2017年7月 8日 (土)

廃線跡の旅・歌登町営簡易軌道

 「鉄の草枕」の「廃線跡の旅」のコーナーに「歌登町営簡易軌道」の記事を追加しました。

 歌登町営軌道のメインルートは小頓別-歌登間ですが、今回はそちらには行っていません。そちらのルートにはトンネルなども残っているといいますから、いつか尋ねてみたいと思います。

 それとは別に、「別海村営簡易軌道」の記事に加筆しました。

 これまでの記事は起点側の奥行臼のものでしたが、終点側の上風蓮を訪ねてきた記事です。併せてご参照ください。

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧