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2018年5月26日 (土)

鉄道全線走破への道

 鉄道に乗って回ることに興味を抱いたのはいつからだったか記憶は定かではありませんが、少なくとも昭和53年には路線図を描いて、乗った区間に色付けをするようなことをしています。その記録によれば、昭和53年中には17路線の890.1kmに乗っています。結構キロ数が出ていますが、東海道新幹線の東京-京都間513.6kmに乗ったのが大きなウェイトを占めています。

 

 乗った区間と日付を記録するようになったのは昭和54年の事で、その年に刊行された「時刻表名探偵」に「全線走破のススメ」という章があった影響を受けて、国鉄全線走破を意識するようになりました。この頃は乗れば乗っただけ走破距離が伸びるのと、この年北海道の親戚を訪ねる旅をしたのとで、2070.4kmを記録しています。翌昭和55年も2000km以上、昭和56年は1000km以上と順調に走破距離を伸ばし、昭和57年には年間で最高の3570.7キロを走破しています。

 

 この頃から国鉄の路線廃止が始まります。昭和56年の福知山線尼崎港枝線、夕張線登川枝線の廃止があり、更に昭和58年からは白糠線を皮切りに、国鉄地方交通線の廃止が始まります。廃止になる前にできるだけ乗りたいという思いもありましたが、日本全国が対象とあってはそうそう出かけられるはずもなく、先の枝線2線に続いて、昭和59年には相模線西寒川枝線、魚沼線が乗りに行けないままに廃止になりました。以来、乗れないままに廃止になった路線は、国鉄、私鉄併せて実に700kmを越えています。もちろん乗ってから廃止になった路線はもっと多く、つい先日廃止になった三江線までで実に2700kmに及びます。ただ、この頃は国鉄に意識が向いていて、その陰で数多くの特徴的な地方中小私鉄が、乗れないままに消えて行ったのは実に惜しかったという思いもあります。

 

 順調に走破距離を伸ばしていたのが、転機を迎えたのは昭和62年、国鉄の旅客鉄道への移行の時です。ここまで国鉄の路線に絞って全線走破を目指していましたが、実質国有とはいえ株式会社化されたことで、従来の私鉄との区分の意味が曖昧になってしまいました。旅客鉄道として民営化された路線と、国鉄から分離されて第三セクター鉄道化された路線との区分の意味も曖昧です。そうなると私鉄も含めて、鉄道全線を走破対象にするしかないのではないか、鉄道と軌道の区分も曖昧なので、その他の特殊な鉄道を含めて全ての鉄道を対象にするしかないのではないかと考え、ここから鉄道全線走破を目指すようになったわけです。

 

 しかし、手近な所で東京の地下鉄路線などに乗ってはみましたが、それまで回っていた国鉄の地方路線と比べると、どうしても乗ってもあまり楽しくありません。そもそも地下鉄では外の景色が見えませんから、この路線に乗ったという実感が持てません。そんなこともあって徐々に意欲が低下して来て、平成元年は1900kmを越えましたが、平成2年には348km、平成3年には132.8kmと新たに乗る路線が減って行き、平成4年からは3ケタを割り込むようになってしまいました。いつしか未乗の路線に乗るために遠出をすることも少なくなり、平成6年は15.0km、最低記録は平成11年の7.4kmと低迷する時期が続きます。それでも、走破がゼロの年がなかったのが慰めでしょうか。

 

 再び転機になったのは、平成12年の普通列車の客車列車の廃止です。かつては長距離の客車列車に乗るためだけに出かけたこともあったのですが、年々姿を消して、最後に残った筑豊本線の客車列車がなくなるということで、最後の客車列車に乗ろうと九州まで出かけた機会に、未乗だった筑肥線、唐津線など久々にまとまった距離の未乗路線に乗って、この年は10年ぶりに走破距離が200キロを越えました。

 

 翌平成13年は、のと鉄道輪島線が廃止になるということで、廃止になる前にとのと鉄道に乗りに行きました。同じ年には、名古屋鉄道の4路線の廃止の話もあって出かけたりしたので、走破距離は481kmに達しました。また、遠出したのに触発されて、近郊の通勤路線などに乗ってみると、しばらく遠ざかっていたせいか、案外楽しく感じられ、このあたりから再び未乗の路線を走破する気持ちが盛り上がってきたのでした。そうなると東京近郊は細かい路線が沢山あって、乗りに行く先には不自由しません。ほとんど毎月の様にどこかここか乗りに出かけて、細かい路線が多いので距離はそれほど伸びませんが、平成14年は399.9km、平成15年は303.2kmを記録します。

 

 この頃になると、全線走破を見据えて、毎月最低1カ所は乗りに行こうと考え、平成15年の10月から、平成17年の1月まで、16か月に渡って毎月どこかの路線を走破するという記録を作り、その結果平成16年は1005.4kmと、実に15年ぶりに4ケタに乗せたのでした。平成17年の2月には一旦途切れましたが、平成173月からは再び毎月走破を重ね、平成17年の走破距離は1036.2kmに達します。さすがに近隣に大物がなくなってきたこともあってその後は距離はそれほど伸びなくなりましたが、毎月走破は延々と続き、平成173月から平成232月まで実に6年間に渡って続くことになりました。この間に、細かい路線が多くなりながらも、合計4000kmを越える路線を走破したのでした。

 

 平成233月、それまで続いた毎月走破を途切れさせたのは、東日本大震災です。鉄道趣味で遠出しているような状況ではなく、がっくりとペースが落ちました。そろそろちょっと出かけられる近隣に未乗の路線がほとんどなくなっていたこともあって、それからは年に数回出かける程度となり、ゆるゆると走破を進めて今に至ります。

 

 そんな感じで長年かけて進めてきた全線走破への道ですが、平成29年末で走破率は98.7%に達し、残すところ47線区・区間、300km余りとなりました。関西圏に割合たくさん残っているので、そう短期間で全線走破とはいきませんが、そろそろラストスパートをかけて行きたいと思います。記録を始めて実に40年と、ちょっと時間をかけすぎましたが。もっとも、最初の年に乗ったすべての路線はその後再び乗っていますので、実質はそこまでの期間はかかっていません。間違いなく乗り直していないと言えるのは、昭和55年に乗った筑波鉄道40.1kmで、昭和62年には廃止されてしまったので、乗り直すのは無理ですね。

 

 この頃、廃止になる駅に廃止前に降り立ってみようということもたびたびやっているので、なかなか全線走破が進まない面はあるのですが、ここからあまりずるずると長引かせないように、少し意識して進めて行こうと思います。経過についてはなるべくこのブログにて報告したいと思います。まあ全線走破を目指す人は少なくないので、興味を持ってくれる人がいるかどうかわかりませんが、もし興味を持っていただけたらよろしくお願いします。

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